577  ある賢い老人の追憶




 わしはひじょうに賢い老人であった。
 今ではわしももうそんなではない、むしろわしはいないとさえ考えてくれていい。しかし昔は、お前らのうちの誰かがわしのところにやってくれば、その心をいかなる重荷がさいなもうと、いかなる罪がその思考をひき裂こうと、わしはそいつを抱きしめて言ってやったよ。「息子よ、そう嘆くもんじゃない。どうしてかというとな、いかなる心の重荷がお前をさいなもうと、わしにはいかなる罪もお前の身体に見出せんのだよ」とな。するとそいつはしあわせになって、ウキウキとわしから走り去っていったもんだ。
 わしは偉かったし、強かった。人々は、道端で出会うとさっと脇へとびすさるもんだから、わしは群衆の中をアイロンみたいに歩いたよ。
 よくつま先に接吻を受けたもんだが、まあわしは抵抗しなかった。それだけの価値がある男だと知っていたからな。わしを敬うことでそいつが幸せになれるなら、邪魔することがあるか?自分でも、わしは異常に身体が利いたからな、自分のこの足に接吻しようと試してみたことがあるくらいだ。ベンチに座って、自分の右足を両手で持って、こう顔の方へひっぱるのよ。足の親指へ接吻するのに成功してなあ。幸せだったよ。他のやつらの幸せが理解できた。
 みながわしの前に這いつくばっていたもんだ。人間だけの話じゃない、動物だって、さらにはいろんな昆虫さえもがだよ、わしの前を這っては尻尾をふるのだ。猫ときたらな!やつらはただもうわしに心底惚れこんでいて、階段を上っているときなんか、どうしたもんかお互いに前足でひっかきあいながら、わしの前を走り回るのさ。
 その当時わしは実際問題ひじょうに賢くて、なんでもわかっていた。袋小路に迷い込むような物事なんてのは、まずなかったといっていい。この奇跡的な知恵を一分しぼれば、最高に複雑な問題でも、最高にシンプルな方法で解決してしまうのだ。脳の大学に連れていかれて、教授先生たちに見せたことがあるくらい。やつらはわしの知能を測って、ただ戦慄しておった。「こんなものは未だかつて見たことがない」・・・なんて言いおってな。


    
 河原朝生



 結婚はしていたが、妻にはたまに会うくらいであった。あれはわしを怖がっておったよ。わしの巨大な知能があれを圧迫したのだ。生きていたというより、震えていたといっていいくらいで、わしがあれのほうでも見ようもんなら、ひゃっくりなどを始めおった。わしらはずっと一緒に暮らしていたが、しかしその後あれは、思うに、どこかに消えたんじゃなかったかな。よく覚えていないんだが。
 わしはいつでも公平で、ゆえなく誰かを殴ったこともない。誰かを殴ったら、つねに理性はなくなるし、そこで度を越すことだってありうるからだ。子供をな、例えばの話だが、ナイフとかまたは全体にそういった金物で殴るもんじゃないが、女の場合は逆だ。蹴るのが絶対に良くないんだな。動物だったらそれも大丈夫だという噂もある。しかしわしはこの方面に経験があるから知っているが、それはいつでもそうだという事じゃないな
 身体が利いたおかげで、わしは他の誰もできないことが出来た。そうさな、たとえば、ある時など、ひじょうに曲がりくねった排水菅から、そこに偶然落っこちた弟の耳輪を取ってやったことがある。それに、たとえば、かなり小さなかごの中に隠れて、後ろでふたを閉めることだってできるぞ。

 そう、もちろん、わしは奇才であった!
弟はわしとまるきり反対だったな。第一には弟はわしより背が高かったし、第二には、もっと愚かであった。
 わしらにつきあいはなかった。とはいえ、つきあってたと言えなくもない、いや、それもがっぷりとな。どうやらわしの勘違いだったらしいことがあるのだ。他でもない、あいつとはつき合いなんかなくて、いつでもケンカばかりしていたんだよ。ところがこんなケンカがあってな。商店の近くに立っておったことがあった。砂糖の配給があったんで、行列に並んでいたんだが、わしはまわりの話を耳に入れないようにしていた。ちとばかり歯が痛み、気が沈んでいてな。おもてはすごい寒さで、みんなが綿の入った毛皮外套を着ていたが、それでも凍えていた。わしもやはり綿の入った毛皮外套を着ていたが、わし自身はそれほど凍えちゃいなかった。凍えていたのはわしの手で、なぜかというと、トランクをなくならないように足の間にはさんで持っていたんだが、その位置を修正するために、ひっきりなしにポケットから手を出さなくちゃならなかったのだよ。すると突然、誰かがわしの背中をどついた。たとえようもなくムカついてな、どうやってこの無礼者を罰してやろうかという思案が、稲妻の速さでかけめぐったよ。そうするうちに、二度までも背中を叩かれた。わしはきゅっと身構えたが、しかしふり向いてなんかやるもんかと決め、何にも気づかなかったような振りをした。万が一に備えて、トランクだけ腕に持ちかえたけどな。七分経過したとき、三度目に背中を叩かれた。そこでわしはふり向いて、わしの前に、かなり着古されて入るものの良い綿入れ外套を着ている、背の高い中年男が立っているのを見た。
「なにか御用ですかな?」わしはそやつに、厳しい、すこし金属的でさえある声で聞いてやったよ。
「どうしてこっち向いてくれないんだよ、あんたのこと呼んでるのにさ?」奴は言った。
やつが再び口を開いてこう言うまで、わしはやつの言葉の内容に考え込んでしまった。
「おいおい何だよ?おれのことがわからないの?おれはあんたの弟じゃないか」。
 その言葉にまたしても物思いに沈んでいると、あいつはまた口を開いていった。
「聞いてくれよ、兄さん。砂糖を買うのに4ルーブリほど足りないんだけど、列から抜けるのはくやしいだろ。あとで返すから5ルーブリ貸してくれよ」
どうして弟は4ルーブリばかり足りなんだろうと思案しておると、あいつはわしの袖をつかんで、いった。
「なあそんなわけで、弟に、少しばかり金を用立てしてくれるんだろ?」。
 この言葉と共に、あいつはわしの綿入れコートの前を勝手に開いて、内ポケットからわしの財布を引き抜いた。

「ほら」、奴は言った、「おれ、兄さん、あんたからいくらか借金するけどさ、財布はほら見て、ちゃんとコートの中に戻しておくからね」。そして財布をわしのコートの内ポケットに差し込んだ。
わしはそりゃ、驚いていたよ。まさか弟に出会うなんてな。しばらくの間黙ったあと、わしはやつに聞いた。
「今までお前はどこにいた?」
「あそこだよ」。弟は答えて、どこかの方角に腕をふった。
『あそこ』とはどこであろうか。わしは考えに沈んだ。しかし弟はわしを横に押して、こういった。
「見なよ、店が人を通し始めたぜ」
店のドアまでは一緒に進んだのだが、なかに入ると弟の姿はなく、わしは自分が一人であることに気がついた。わしはすぐさま行列からとび出して、ドア越しに外をうかがった。しかし弟はどこにもおらなんだ。
 再び行列の自分の場所に戻ろうとしたが、もうそこへは入れてくれず、あろうことか追い出されてしまった。わしは秩序のなさに激怒しながら、家へ戻ったよ。家で、弟がわしの財布から有り金を全部持っていったことを発見した。わしは弟に猛烈に腹を立てて、それ以来ずっとやつとは和解していないのだ。
 わしは一人暮らしで、自分のところに通すのは、相談があって来る者だけだ。しかしそういう人間も多いから、昼だろうが夜だろうが休めない時がよくあった。時には床に寝転がって休むくらいの段階まで疲れたよ。わしは今でも寒くなるまでは床に寝て、寒くなったら身体を温めるために飛び上がって、部屋中を走り回るのだ。それから再びベンチに座って必要な者すべてに忠告をやる。
 相談者は次から次にわしのところへやって来た、時にはドアさえ開けずにな。やつらの苦しむ顔を見るのは楽しかったよ。やつらと話しながら、わしはひそかに笑いをこらえておったのだ。
 一度こらえきれずに笑い出してしまったことがある。やつらはおののいて駆け去っていきおったよ、ある者はドアから、ある者は窓から、直接壁を抜けてった者もおった。
 わしは独りになった。わしは力強い身体全体をすっくと伸ばして立ち上がり、口を開いて言った。
「プリン・チム・プラム」。
 ところがそのとき、わしの内部でポキリッという音がして、それ以来わしのことはもうないものと数えてよくなったのである。

 
19351937








     訳者より

 ハルムスが30歳から32歳くらいの時期に書かれたのであろうという作品です。1980年にはじめて「コンチネント」誌に発表されました。原稿用紙には当初『賢人』という題名が記されていましたが、のちになって線が引かれ、上の題名がつけられました。
 自筆原稿には、テクストのあとに、こんな一文が記されています。


  記憶というのは、いかにも奇妙なものである。何かを覚えるのはいかに難しいものか、忘れるのはどれほど易しいか!よくあるのが、なにかを覚えたと思ったら、まったく違う記憶になっていることである。または。何かをやっとのことで覚えて、固く覚えこんだのに、あとになって何ひとつ思い出せない。これもよくあることだ。私はみなに、自分の記憶に真摯に取り組めと忠告したい。

 
この一文は、作品の最後につけ足されてもおかしくありませんが、ハルムスの意向は最初から削除して欲しいというものだったそうです。なるほど、この一文があることによって、様々な解釈の可能なテクストの幅を狭めてしまうかもしれませんし、語り手の老人の破天荒な物語が「記憶違い」ということなんだな、と、読者が落ち着いてしまうのはつまらないことかもしれません。
 それにしても自伝や昔話などというものは、大体が誇張や自慢や見栄をはらんでいるもので、自己宣伝しながら、語れば語るほどどんどん地が出て、荒唐無稽になっていくこの「賢い老人の追憶」は、非常にぴりっとした風刺をはらんでいます。